西宮発 eco税理士が行く

環境プランナーERとして、環境問題、環境経営についてお話します。

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割ると食べられるようになるが、食べ物じゃなく体に悪いものは?(森林破壊、有害物質)

先日、朝にラジオを聴いていたら、「浜村淳」が叫んでいた。
「中国製の割り箸が危ない。」

■ 森林破壊の問題

以前、私が書いた内容で「マイ箸」のものがありました。
その中で、日本の割り箸と中国の割り箸の違いについて書きました。

日本の割り箸は間伐材から作られているので、森林破壊には繋がりにくい。
しかし、人件費がかかるので中国産の割り箸のようには大量生産できないし安く出来ない。

中国は国内に森林がたんまりあるので、どんどん割り箸のために木を切り倒す。
そりゃ、まわりにタダで生えているものがお金になるのだからチマチマ農業なんてやってられない。
しかし、最近は森林伐採による温暖化や砂漠化、異常気象や洪水の影響が大きく、国際的にも問題になっているため、木の割り箸から竹の割り箸にシフトしてきている。



■ 中国の国内では

中国国内でも割り箸の需要は急拡大。
数年前までは、中国の飲食店では「プラスティック」か「金属」の箸が使われ、毎度使用後に洗って再利用していました。
しかし中国で非常事態発生!
そう、数年前のSARSの発生。
驚異的な伝染性を持つウィルスのため中国国内では躍起になって対策を講じ、その結果国内感染拡大を封じ込めました。
その後「箸の使いまわしは衛生的ではない」
ということで、使い捨ての割り箸が奨励されたのです。
飲食店としても洗い物は減るので大助かり。
もともとエコだった中国ですが、大量のゴミを発生する割り箸に転換しました。



■ 日本人はキレイ好き

だから割り箸だって
「曲がったものは嫌」
「白い割り箸でないと衛生的じゃないよね」
なんてことになります。

だから、もともとの木の色や竹の色では売れないのでどうするか。
「簡単じゃん(と中国の人がいうかどうかは別にして)」

「漂白剤を使います」



■長持ちしないとね


日本は中国と同じく湿気の多い国なので、箸もかびやすくなります。

せっかく中国から安く輸入しても、倉庫でカビだらけになったら仕方がない。
ムダですよね。

だから、中国の生産現場でもそのことは心得ていて、
「カビない様にしようぜ!」ってことで対策を打つ。
これで一件落着かと言えば、そんな簡単には終わらない。

「防カビ剤」、「防腐剤」「農薬」を大量に使用する。(怖っ!)


■ 実際の中国の製造現場では…


中国現地の方からのレポートです
http://patai.exblog.jp/6177917

どうです。
ちょっとびっくりしませんか?


■ とは言っても

日本における割り箸の輸入は2006年で99%までが中国製
特にコンビニではお弁当に必ず付いてくるので、中国製割り箸がないとタダで提供している割り箸代が値上がりし経営を圧迫しかねない。

「箸ったって、飯を食う時にちょっと口に入れる程度じゃないか、大げさじゃね?」

でもねえ、年間に何度も外食するでしょ。
コンビニのお弁当も買うでしょ。
その都度何十回何百回口に入れて、数年間で考えるとものすごい回数になるじゃない。
その割り箸のほとんどが中国産ですよ。

やっぱやばいでしょ。
気にしすぎと思われる方は聞き流していただいて結構。
でも「後悔後に立たず」「君子危うきに近寄らず(私は君子ではないですが…)」
やばそうなものはやはり避けて正解では?

最後にある方のHPでの割り箸実験を紹介しておきます。
これでも気にしすぎ?


楽しい株式会社 〜 割り箸リサイクル
http://www.fun-c.jp/html/ceres.html


あ、そうそう、タイトルのなぞなぞの答え。
(答え)中国産の箸




■ おまけ

今日もラジオを聴いていると、童謡「赤い靴」の真実について話している。



赤い靴 履いてた女の子 異人さんに連れられて行っちゃった

横浜のはとばから船に乗って 異人さんに連れられて行っちゃった

今では青い目になっちゃって 異人さんのお国にいるんだろう

赤い靴見るたびに考える異人さんに会うたび考える・・・



岩崎キミちゃんは明治に今の静岡県清水市に生まれる。
母親は18歳、父親不明

当然当時のことですから風当たりは強く白眼視されてしまう。
逃げるようにして静岡県を去る親子。
行き着く先は北海道。

明治の頃の北海道は、函館や札幌に少しだけ町があるだけで、
あとは広大な荒野がひろがり、アイヌの人々がいるだけだった。

その北海道で親子は1人の男性に知り合う
鈴木志郎氏
やがて男女は親しくなり求婚を受ける。

北海道での幸せな3人の生活でしたが、転機が訪れる。
当時荒野だった北海道の大地を開拓すべく「開拓団」が結成され、
希望を胸に志郎氏は参加する。

しかし、厳しい自然環境と、生活の保証のない状態に子供を連れて行くべきかどうか。
夫婦は悩む。

とあるとき、アメリカ人宣教師夫妻が養子を探していることを聞く。
何度も悩んだ挙句、なくなくキミちゃんを宣教師に預けることとなった。
キミちゃんこの時2歳
当時の彼女に現実が分かったのかどうか。

その後、志朗氏が参加した開拓団は失敗に終わり、新聞社に入社する。
そこに、後に「赤い靴」の詩をつくる「野口雨情」が新聞記者として勤めていた。

夫妻と親しくなった雨情氏は子供のことについて話を聴くことになる。
キミちゃんも、アメリカの地で幸せに暮らしているのだろうな。
そんな思いから作られたのが上の詩である。



アメリカに渡ったキミちゃんは幸せに暮らしたのだろうか。

実はキミちゃんはアメリカに渡らなかったのである。
しかも、実際のキミちゃんの生涯はそんなに穏やかなものではなかった。

宣教師夫妻に大切にかわいがられて育ったキミちゃん。
しかし、キミちゃんの体に病魔が忍び寄る。
当時不治の病とされた「結核」であった。
療養生活を送る毎日。
悪いことに、宣教師夫妻に本国から帰国命令が下る。

キミちゃんを連れて行くべきか。
キミちゃんは闘病生活で消耗し、アメリカまでの長い船旅を乗り切るだけの体力が残されていない。

泣く泣く夫妻は現在の麻布十番にある教会の孤児院に預けて日本を去っていった。
その後、キミちゃんは回復することなく9歳の短い生涯を終える。
  ・
  ・
  ・

悲しいじゃないですか。
幼い子供が2度も両親との別れを経験し、闘病の果てに天に召される。
このキミちゃんの生涯が明らかになったのは昭和になってからのことらしい。
お母さんも、雨情氏も、キミちゃんの幸せを疑わなかったに違いない。


このことを読んでから、もう一度上の歌詞をお読み下さい。


わが子の幸せを思う気持ち
手放してしまったことに対する後悔
実際にキミちゃんが辿った過酷な運命

もう涙なしでは聴けません。
キミちゃんに合掌!




このことについて妻に聞いてみると、

「知っているよ、女の子が外人さんに売られていった悲しい話やろ」



我が家は今日も平和です。

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